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ブログ「ここみライフ」

薬膳教室「心味」オーナーの
瀧本靖子が綴る、薬膳な毎日。

自叙伝 第3章

続き・・
老人ホームでは、何をしていたのか分からず毎日が忙しかったですね。
勿論、献立を立てたり、給食委員会を開いたり、配食サービスを拡大したり、社会福祉協議会の大会に参加して、発表したり色々とありました。
ただ、パートさん同士のトラブルの愚痴を聞いたり、介護スタッフと調理師さんとのパイプ役だったり、とにかく雑用が多かった記憶があります
何も仕事らしいことはしていないのに、午前中が終わっちゃった・・そんな事が多々ありました。
ただ、やりたい仕事をどんどん取り入れていくうちに自分のキャパオーバーになり、休みもほとんど取れなくなりました。
余りにも疲れて、食事をする時間を取るくらいなら、仮眠したい・・
そんな事から、徐々に食事量が減っていき、だんだんストレスでモノが食べられなくなり、水しか飲めない日々が2ヶ月くらい過ぎました。
枝のように痩せて細くなっていく私を心配した周りが色々と配慮をして下さり、栄養補給の点滴を打ちながら仕事をしていました。
これは根本の解決にはならないし、精神的にも参っていたので、しばらく休職をして入院をすることになりました。
しかし、入院しても何もよくはならないし、職場復帰もできなくて、最悪な状況でした。
普通の日常生活がおくれないほど体力がなく、熱が下がらず・・という状態が5年くらい続いたでしょうか。
いいと言われる病院へ多々通いましたし、紹介状を持って、いろんな病院を転々としました。
しかし、どこでもどうすることも出来なくて、症状も一向に回復には向かいませんでした。
私以上に、良いといわれる病院を探して、連れて行く母が参っていくように思えました。
西洋医学の限界を感じましたが、漢方はお金が高く、胡散臭い・・というイメージがありましたから、ひとまず、自分で勉強をしてみようと、薬膳の通信教育に申し込みました。
そうしたら、「冬木れいさん」という料理研究家から電話が掛かってきて
「本当に薬膳が勉強したいなら、通信教育ではなく学校へ行ったほうがいい」
といきなり言われました。
見ず知らずの方からの電話ですし、あっけに取られましたが、ひとまず学校へ行くことにしました。
ここから、薬膳の勉強が始まり、思ってもいなかった「国際薬膳師」の試験を受けることになり、猛勉強が始まりました。
しかし、取ってはみたものの、「国際薬膳師」という資格を活かす職業がありませんでした。
そんな時に父が
「自分のやりたいことが決まっていて、それがないなら自分で始めればいい」
なるほど・・・・ということで、「薬膳レストラン心味」を始めました。
その頃には、自分で薬膳料理も作れるようになり、体調もかなり回復をしてきました。
ただ、薬膳はテーラーメード、オーダーメード、個人の体質や症状に合わせた料理のことを言います。
ということは、
「不特定多数の方に向けたメニューは薬膳とは反するのではないのか?」
という疑問が常に頭にありました。
ならば、思い切って薬膳を教えよう!
と方向転換を考えるようになりました。
つづく・・

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