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自叙伝第2章

薬膳教室 心味の瀧本靖子です!

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今日は、宝塚音楽学校の卒業式がありましたね。
テレビのニュースで見ました!
前回の続き・。
高校3年生の時に宝塚音楽学校を受験しました。
一次試験は東京でもありますので、新百合ヶ丘にあります昭和音大で受けました。
バレエと声楽と面接でした。
我々の頃は、ベルバラブームで倍率も50倍近かった記憶があります。
一次試験ではかなくも落ちてしまい、仕方なく(言葉が悪いですが・・)栄養学に興味を持ち始めていたので、実践女子大学の「管理栄養士」というコースに入学しました。
最初の1年は、大学を辞めたい、劇団に入りたい・・という思いで一杯でした。
しかし、専門科目が増えてくる2年目からは、栄養学が面白くて面白くて、どっぷりはまりました。
朝4時に起きて、その日の授業の予習をして、帰りの電車で復習をして、帰宅してノートをまとめて・・試験前に慌てる事などなく、試験もほぼAでした。
当時大学受験を控えていた弟からも、「どちらが受験生か分からない」といわれたほど栄養学の勉強が楽しくて仕方がありませんでした。
その時に、自分の気持ち次第で楽しくも苦しくもなることを学びました。
上手に、環境と感情を擦り合わせていくと、何かが変わると思いました。
卒業後は、「食養内科」という、食事と漢方で糖尿やアトピーを治す専門の科がある病院で働いておりました。
小さな子供は、アトピーがひどくて入院しても、治りが早くて、あっという間に綺麗な肌になったり、性格が楽観的な人は治りが早い、悲観的な人は治りが遅いことを実感したり、沢山のことを学びました。
また、調理も栄養士が行うので、料理の修業になりました(苦笑)
病院に就職するまで、包丁を握ったことがほとんどなく(ピアノを真剣にやっていたので)スーパーに買い物にも行ったことがほとんどなく、あり得ないことですが野菜の区別もつかないレベルでした。
例えば、「白菜取ってきて」と言われても、どれが白菜か分からない・・。
私はある意味、有名人でした。
「野菜も知らない管理栄養士が入ってきた」
あわてて、明治屋クッキングスクールに毎週土曜日に通いました。
調理が出来なければ、献立作成も出来ないし、調理師さんに指示も出来ない。
大学で学んだことと、仕事として必要なことがいささか違うことに戸惑いつつも、料理が楽しくて面白かった記憶があります。
私がいたのは、食事がとても大事な科ですから、入院患者さんの食事費も高く、食材にもこだわっており、魚は全て丸ごと一匹で納品ですし、(鯛なら50センチ、さわらなら1メートルくらい)鯉やエビは生きたまま納品、豆腐も手作り、米も精米・・ですから、魚もさばけるようになりました。
しかし、そこの食事療法の、独特の理論に少々違和感を感じ、また、ハードワークにより、体調を悪くしたので3年弱で辞めて、老人ホームへ転職をしました。
つづく・・。

瀧本靖子

このブログの著者

瀧本靖子

中国医学研究家、国際中医師、国際薬膳師、管理栄養士、オールアバウトガイド、フードコーディネーター、ソムリエ協会認定ワインエキスパート

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